

角田 夏実
NATSUMI TSUNODA
Special Interview
スポーツ選手にケガはつきものだが、生活の糧としているプロにとっては死活問題。2024年のパリオリンピックを沸かせた角田夏実も、復帰への恐怖におびえていた時期があった。紆余曲折の中でつかんだ初の金メダル、その人生模様に迫る。
2015年、角田夏実は手術台に横たわっていた。
前十字靱帯断裂……。
社会人一年目の彼女が、
『これからは柔道で生きていく』そう思い定めた矢先の一大事。
術後は長いリハビリが待っている。
本当にまた畳の上に立てるのだろうか?
事実、この柔道ができない期間、
角田は「クビ」の恐怖におびえながら毎日を過ごしていたという。
紛れもなく柔道人生最大の壁に、
角田夏実は行く手を阻まれた。

角田は数多いるメダリストの中でも、一風変わったキャリアを積んでいる。
中学高校までは確かに柔道強豪校で揉まれたが、オリンピックのオの字も考えたことはなかった。「インターハイで勝ちたいとは思っていましたけど……。世界なんてとんでもない」結局インターハイ優勝はかなわず、競技としての柔道にはピリオドを打つつもりだった。
「実は柔道を辞める言い訳では
あったんですけど、
パティシエになりたいと」
それでも高校柔道部の石渡監督や、柔道家だった父の説得で、とりあえず柔道は続けることに。白羽の矢を立てたのは、気楽に柔道をやれると聞いた東京学芸大学。

「結果として、その4年間で私は柔道が好きになっていました」学芸大柔道部は人数も少なく、競争の激しいスパルタ的な環境とは無縁だった。当時の監督の方針は長所を伸ばす練習を主に、楽しみながらも真摯に探究すること。
「柔道ってこんなに楽しいんだって
気づかされました」
すでにインターハイ出場の実力者だった角田は、自ら進んで強さを求め始めた。大学3年生時に全日本学生体重別選手権52kg級で優勝を果たすと、国体(現・国民スポーツ大会)には千葉代表で女子団体2連覇。
「結果がついてくると欲が出ますよね、やっぱり」

半ば父や恩師への義理で柔道を続けていた角田だったが。その視界に[世界]がチラついてきた矢先……。「4年生のとき、前十字靱帯を断裂してしまって。最初は手術は回避して、リハビリで何とかするつもりでした」だが、大学卒業後、多くのメダリストやオリンピアンを輩出している了徳寺学園に就職したとき、角田はそれが甘い考えだったことを痛感する。
「正直、メスを入れるのは悩みに悩みましたけど、症状も悪化して……。騙し騙しで通用する世界じゃなかったんですよね」
彼女は明日のために、
手術とつらいリハビリを決断する。
だが、満足に柔道ができない状況が続くと、
1年目の新人の脳裏に「クビ」の2文字が駆け巡る。
周りには強い人がたくさんいて、自分には何の実績もなければ、柔道もしてないわけで……。普通の会社なら、クビじゃないですか」
毎日毎晩、角田は恐怖に怯えていた。
そんな角田を救ったのは、大学時代の柔道を楽しんでいた自分を思い出したこと。「(柔道ができなかったことで)やっぱり柔道が好き、柔道あっての私だなって」さらに今井優子コーチとの出会いも大きかった。常に励まし、寄り添い、共に汗を流してくれる存在が、どれだけ助けになったことか。そしてリハビリ期間が明け、遅れを取り戻すかのような猛練習の中で、角田の代名詞[巴投げ]に進化が訪れる。
「それまでも巴投げは使っていましたけど、
あくまでも得意の寝技へのつなぎというか……。
それで決める技じゃなかったんです」
そんな巴投げを決め技にする選手を見て、角田は衝撃を受ける。
「決めにいかない巴投げは、寝技狙いの先を読まれることも多くて……。
だから(巴投げを)本気で決めにいく、
失敗したら寝技に移行する。これがハマりました」
巴投げを磨いた彼女は、2016年のグランドスラム東京で、ついに世界大会初優勝。
柔道人生最大の壁を乗り越え、一躍、未来のオリンピアンに名乗りを上げたのである。
あらゆる意味で競技を楽しめないアスリートに、飛躍的な進化は訪れない。
『好きこそものの上手なれ』
それを体現した角田夏実は、二度目の大ケガや、
階級変更(52kg級→48kg級)の苦労、
さらに東京オリンピック落選の憂き目を味わいながらも、
大好きな柔道でパリオリンピックの金メダルをつかみとる。
勝利の鍵は、巴投げだった。
角田 夏実
NATSUMI TSUNODA

Profile
1992年8月6日生まれ、千葉県出身。小学校2年のときに柔道を始めた。県立八千代高校時代には2年でインターハイ3位、高校選手権5位。3年のときにもインターハイで5位に入ったが、柔道を続けるかどうか悩んだうえ、父親や顧問に後押しされて東京学芸大学へ進学した。ここで一気に頭角を現し、3年生時には全日本学生体重別選手権52㎏級で優勝。日本のエースとして成長し、ケガなどによる挫折もあったが、2024年のパリオリンピックで念願の金メダルをつかみとった。31歳11カ月での初優勝であり、2004年のアテネオリンピックの谷亮子以来20年ぶりとなる、女子48kg級の日本人選手優勝だった。